法律と倫理と志

法律と倫理と志

東京都庁

2016年6月15日、東京都の舛添知事が辞職を表明した。

自らの問題に対して、法律やルールに則ってやっているので何ら問題ではないと自ら判断を下して、問題の収拾を図ろうとした訳だが、逆に都民・国民の怒りに油を注いで最後は味方の自民党都連にも裏切られてしまった。

報道の通り、違法ではないが不適切な状況の中、違法なことをやっていないのだから責任はないというのは、ある意味正しい。しかしながら、国やそれに匹敵するような自治体のトップは、違法なことをしなければ、それでOKという訳にはいかない。

例えば、育休問題で話題になった宮崎議員。彼は、同じ国会議員であった産休中の奥さんに隠れて、若いタレントと不倫をしていた。これは、特に法律に触れていることでないから、逮捕されることもなければ、取り調べを受けることもなかったが、議員辞職にまで追い込まれた格好だ。

つまり、社会の未来を背負うであろうトップの人間は、一般市民のような感覚でいてはいけないのであって、高い志と倫理観が要求されるのだと私は思う。そう、大相撲の横綱に品格が求められるように、こずるい技で勝負に勝つことは許されないのである。

ただ、その倫理観というものは、人によって許容範囲が変わってくるというのも事実ではないだろうか。前の都知事の石原慎太郎氏がいくらお金を使おうが、ある意味黙認されていたし、大臣や首相になった昔の大物議員たちも愛人を何人も抱えていたなんて話もあったのに、誰も責めようとはしなかった。

それは、その人に与えられた役割以上の仕事をしていたからに他ならない。それによって、多少羽目を外した行動があったとしても許された。それは、人間性や魅力、能力がより大きかったからだろうと思うのです。

特段の仕事をしていなかった宇野首相が、芸者を囲っていたということですぐに辞職したというスキャンダルも、仕事と人間性の差し引きをした時に首相の器ではないと世間に判断されたということだったのではないだろうか。

私は、ビルダーとして輸入住宅を皆さんの為に建てさせて頂いている訳ですが、果たして通常の倫理観を越えられるだけの人間的な魅力や能力を持ち合わせているのだろうか。

法律には引っ掛からないが、倫理には引っ掛かるものとして手抜き工事が存在する。建築確認申請には記載がなく、確認申請で許可が下りているという場合では、規定のない細かな施工や材料までは誰も追究しないし、誰も分からないなんてことがある。

そういう場合、舛添さんと同じ状況となる訳で、お客さんの利益になるより自分の利益になるようにうまいことやれば儲かるなんて考えれば、いくらでも手抜きをすることが出来る。だから、建築屋のトップには、高い志と倫理観が大切なんだ。

国や自治体のトップのように、私生活にまで倫理観を持つ必要はないが、与えられた仕事や目指すべき理想に於いては、一つもブレがあってはいけないはずだ。

まあ、人間なので、会社の利益という甘い誘惑に負けそうなこともある訳ですが、そこで何とか踏みとどまるかどうかを、神様に試されているのだと感じます。

法律は最低限守るべきこと、倫理はより高い理想を実現する為に大切なこと。これを分かっている建築屋は、どのくらいいるだろうか。

小さな子供に道徳を学ばせておいて、大人がこれを大切に出来ない社会は変ですよね。建築に携わる私たちには、高い志(信念)と人間的な魅力を備えることが求められます。勿論、聖人君子たれということじゃありません。そんなこと言われたら、私なんか全然ダメですから・・・(笑)

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