阪神・淡路大震災から20年

阪神・淡路大震災から20年

私は、地震の当日、まだ夜が明けぬ中で布団にくるまりスヤスヤ寝ていたのでした。

そんな中、いつもより激しい揺れが、ここ名古屋の地でも感じられ、少し時間が経ってからどこで地震が起きたのかと眠い眼をこすりながらテレビを付けたことを覚えています。そこに飛び込んできたのは、神戸の街のあちこちから煙の上がる光景でした。

既に辺りは明るくなっていましたので、午前7時を過ぎていたような気がします。私は、今まで家やビルが地震で倒壊するといったことを目の当りにする経験がありませんでしたから、それは衝撃的なものでした。

それから20年。衝撃的な映像は、湾岸戦争、9.11、そして東日本大震災による津波と原発事故の発生と日常茶飯事のように目に飛び込んでくるようになりました。平穏だと思っていた日常は、私たちの周りでも一瞬にして地獄のようになることを物語っています。

耐震など、住宅の構造といったハードの面では、強い地震でも持ちこたえられるようになってきましたが、人間の心や気持ちといったソフトの面では不安定なことが多いことは否めません。

如何に私たちが耐震性の高い輸入住宅を造ろうとしても、建物まで延びるガスや水道の配管や電線の損傷には対処することは出来ません。また、隣近所から火の手が上がれば、どうすることも出来ませんし、家以外の場所でそういった災害に遭遇すれば、いくら自宅の耐震化をしても命の保障はありません。

何れにしても、人智を超えた災害や事故では、どんな状況でも無傷でいられるという訳にはいきません。それは、人も住宅も同じだと思います。自分自身がしっかりすることや減災への努力は必要ですが、家族や地域との絆を大切にして、建物や社会の復旧へと共に歩みを始めることが災害時には求められるのです。

麦は、踏みつけられれば踏みつけられる程強く大きく成長します。そんな日本にしていかなければ、東海・東南海・南海の巨大地震や富士山等の噴火災害には耐えられないと感じます。

災害への不安は、徐々に遠くになっていくものではありますが、そんなことを1月17日に思う私です。阪神・淡路大震災で亡くなられた方のご冥福を改めてお祈りします。

私たちの考えや建築に共感され、施工を希望される方は、ご相談下さい。

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